「おいたち」インタビュー

こもれび写真のルカフォト代表の宮川よしえ
「こもれび写真のルカフォト」代表の宮川よしえ

はじまりも、これからも『家族写真』。

 『ファミリーフォト』。小さな子どもがいる家族が、こどもを中心に並び、とびっきりの笑顔で一枚の写真に収まる。

ルカフォトの宮川理恵は、5年前からこのスタイルで写真を撮り続けている。

自営、家族ぐるみ。

 宮川がはじめて『カメラマン』の仕事をしたのは、小学生の頃。あるいは中学生の頃。実家は、地域の人から愛される写真スタジオ。その主人である宮川の父がスタジオをオープンしたのは、宮川が生まれてまもなくだったそう。「父は安定企業を辞め、大手婚礼スタジオに転職。のち独立。はじめは他店舗の2階を間借りしたところで、お客様にはなかなか来てもらえなかった。移転を繰り返し、なんとか駅近のスタジオを持てたのは、そこから数年も先。」

独立間もないころの、スタジオでの家族写真。
独立間もないころの、スタジオでの家族写真。

「写ってない!」

写真館は、来るお客様を撮影するだけではない。「自営業は、家族も戦力。スクールフォトに派遣され、姉と一緒に、助手としてグラウンドで撮影していました。」撮影するのは、例えば校舎の最上階から運動場を見下ろすような写真。「メインはプロのカメラマンが撮って、私たちはプロの手が届かない場所からの写真を押さえる。持たされたカメラは超アナログで、フィルムが噛んでいなくて写っておらず、子供ながら悔し泣きしたこともありました。」

初めてのカメラ。手動でフィルムを巻き取る。間違えて裏蓋をあけると、撮った写真は感光して使えなくなる。
初めてのカメラ。手動でフィルムを巻き取る。間違えて裏蓋をあけると、撮った写真は感光して使えなくなる。

レールに乗る葛藤

 「カメラマンの仕事は、泥臭い。地面に這いつくばって撮ったり、お客様を笑わすためにピエロ役を買ってでることもあるし。かっこ悪い仕事。若い頃はそう思ってました」。だから、写真学部にはいかなかった。「子供のときは、砂漠に植物を咲かせることが夢だったんです(笑)。父の心中を知りながら、農学部に行きました。就職活動の時はもうちょっと現実的で、大好きなお菓子を開発できる会社に行きたい!と。製菓メーカーの内定ももらったんですよ」。そう、確かに内定をもらった。でも、行かなかった。行けなかった。

 

 「内定が決まってから、父から「うちの取引先に行かないか」と。「ああ、来た」と思った。反発はできた、でも観念したんです。家を裏切れない。弱冠22歳の小娘なりに、家業のことを思ったんです。

決心して、内定先に辞退の電話をしている間に、泣いてしまいました。」 

植物や自然が好きで、それにかかわる仕事に就きたかった。今、自然の力を借りて写真を撮っている。
植物や自然が好きで、それにかかわる仕事に就きたかった。今、自然の力を借りて写真を撮っている。

就職したのは、カメラの販売業。体育会系の職場は厳しかったが、徐々に打ち解けられたそう。「社会人の基本や、カメラメーカーの勉強会に出していただきました。私のようなカメラマン2世、3世もいて、実家の話で盛り上がったり。それが、またもや急に辞めることになってしまって。」 

父の友人カメラマンが、撮影顧問として新しいスタジオに入る際に、アシスタントを探していた。父に勧められ、会社を辞め、転職した。「また泣きましたよ。同僚も先輩もいて、充実していたから。でも、それがベストだとわかっていたから、従いました。職場の人たちは事情を知っていて、快く送り出してくださいました」。

スタジオでは、フィルムの大きなカメラを使う。父のスタジオも、勤務したスタジオも、RB67だったことに親近感を覚えた。
スタジオでは、フィルムの大きなカメラを使う。父のスタジオも、勤務したスタジオも、RB67だったことに親近感を覚えた。

ハングリーな時代

新たな師のもとで修行をスタートした宮川。しかし、シャッターを押すチャンスは巡ってこなかった。「時代はアナログでした。師匠やスタジオカメラマン、出入りするスナップカメラマンさんのフィルム管理が私の役目でした」。膨大な量のネガをセレクトし、撮影のアシスタントに入る。「婚礼がメインだったので、白無垢や色打掛、ドレスが「カタ」通りに写るように整えました。今思えば、スタジオで和装を「捌く」のは本当に貴重なことで、感謝しています」。しかし、撮影はできない。修行しにきたのに、シャッターを押せないなんて。悔しい時代でした。

 

 「スナップ撮影はさせてもらえたので、真剣に取り組みました。出入りのフリーカメラマンは面白い人が多く、スナップに同行させて頂いきましたね。カメラマンによって、声のかけ方が違うんです。私まで、思わず笑ってしまう。話術師のようでした」。スタジオアシスタントの合間、スナップ撮影に入り、平日はすべてのスナップセレクトと仕上げ。休みの日は、父の仕事。忙しく働く中、ついにチャンスが巡ってきます。スタジオカメラマンが一人退職したのです。「サブから、シャッター切ってみましょうか。責任は、私が持ちます。」師匠が、スタジオオーナーに掛け合ってくださいました。

 

 先生は、こういって教えてくれました。「シャッターを押せば誰でも写せるんだよ。スタジオライトは決まっているからです。では、あなたと私では、何が違うかわかりますか?」そして宮川の父も、かつて同じことをいっていたそう。「シャッターは、許可みたいなものだ。すべてがオッケーの時に、切る。全責任が、シャッターを切った人にかかるんだ。」

師匠からは、私のフィルムをいつも指導していただきました。ほんのわずかな違いを学ばせてもらった。もっともっと上手くなりたい、カメラマンとして認められたい、と一番がむしゃらだったのがこの頃だったかもしれません」。

被写体を配置し、すそを捌き、カメラ位置を決め、ピントを合わせる。そこまで。
被写体を配置し、すそを捌き、カメラ位置を決め、ピントを合わせる。そこまで。

結婚。引越。父のスタジオは閉店。

ちょうどこの頃、宮川に女性としての転換期が訪れる。結婚を意識し始めたのだ。「今の夫と出会ったのがこの頃。タイミングよく、スタジオ移転で休業になり、退社することにきめたんです」。結婚・転居。実家は継がないでいいんだ。父も母も、結婚をなにより喜んでくれた。

かつてあきらめたことを思い出し、研究補助の派遣社員として働き始めることに。「まず、定時で帰れる仕事にびっくり。でも、すぐに物足りなさは感じてしまいました。ワザを磨くことは、求められませんでした。私が至らなかったのでしょうね。」

フリーカメラマンの道へ

 そんな時、知り合いのカメラマンから連絡が入った。

「神戸で、ブライダルのカメラマンを探している」と。派遣の仕事を続けながら、土日はスナップ撮影に行く日々が始まった。

 

 そのスナップ会社は、新鮮だった。「撮影がとにかく早くて上手なんです。キレイなロケ場所を瞬時に見つけ、ポージングを的確に誘導し、さっさと撮影してしまう」。それでいて、実に丁寧な仕上げ。ウェディング雑誌のような写真集が納品される。花嫁さまからはもちろん、ホテルのスタッフからも評価が高かった。圧倒されるクオリティと、スピードと、穏やかさ。

 

 宮川はふたたび写真に打ち込み始めた。土日にどんどん撮影を入れ始めるのだ。「社長と自分、近くで撮影しても全然仕上がりが違う。その理由は何なのか、どうすればもっといい写真が撮れるのか…いつも考えていました。婚礼写真は時間との勝負なので、必要な「使える」カット数を撮るために、頭は常にテンパっていましたね(笑)」。たとえば、お色直し後のカラードレスの撮影。披露宴会場に戻るまでの10分、短い時は5分の間にロケ終了を求められる。「第一子を妊娠するまでは、週7で働くこともよくありました。夫もあきれるほど、夢中でした」。

 

 また、仕上げ作業も宮川の興味をそそる。「デジタルに移行した時期でした。現像所にお願いしたり、撮影時にやっていたことを、パソコン上で変えることができる。撮影現場で、よりシャッターに集中できるんです。

それからも宮川は、コマーシャルフォトスタジオ、老舗写真館、女性カメラマンのみのスナップサービス、など、いろいろなところから仕事をいただくようになった。

「発注元は、三脚の位置、ライトの位置を、ミリ単位で要求するところもあります。どう写るか、たくさん教えていただきました。」

父が下請けをしていたネガフィルムの鉛筆修正は、だれよりも丁寧だったと、恩師の先生に教えてもらった。
父が下請けをしていたネガフィルムの鉛筆修正は、だれよりも丁寧だったと、恩師の先生に教えてもらった。

今できる最善を、提供する

ルカフォトでは、11枚丁寧に仕上げをする。

 

その源流は父の細やかな仕事であり、数々の恩師たちの職人技であり、それを受け取ったお客様の笑顔である。

「撮影現場では、被写体の雰囲気が最重要なんです。それを壊すような機材は使いたくないし、あとで直せばいい。」

 

今、宮川はお客様の写真の隅々まで見て必要な補正を行っていく。

「『こんなことまで?』『そんなに時間をかけるの?』って言われることもしばしば。でも、手を抜いた写真は渡したくない。恩師たちの技術を、引き継がなければいけないんです。」

 

宮川の師匠は、スタジオでこう語った。「君のお父さんの仕事はとても丁寧で、信頼していた。ネガ修正を全部任せたいと言ったことがあるが、多すぎて断われてしまったよ」。その父と同じように、今、宮川はお客様の写真を丁寧に仕上げ、届けている。

 

「丁寧な仕事」を続けたい。デジタルの今は、勉強することがたくさんある。
「丁寧な仕事」を続けたい。デジタルの今は、勉強することがたくさんある。

同じ道、同じ仕事

ルカフォトは、5年前、1500円からはじまった。婚礼写真にいた宮川が新たに選んだ被写体は『ファミリー』だった。「出産後、子ども、そして家族の自然な姿を撮りたいと思うようになったんです」。婚礼にいた父が街の写真館を作ったように、宮川も家族写真を選んだのだ。「写真の中に、家族の関係が写るように撮るんです。何十年も先まで、愛された事実が伝わるように。」

いつか子どもが振り返った時に、『こんなにも愛されてたんだ』って感じてもらえると、もっと嬉しいですね。みんなあなたにベタぼれだったんだよって。そんな写真を撮り続けたいと考えています」。

家族写真。泣いている私と、笑っている母と、この写真を並べて貼った父親の想いが、伝わってくる。
家族写真。泣いている私と、笑っている母と、この写真を並べて貼った父親の想いが、伝わってくる。